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NOVAホールディングス社長・稲吉正樹

先日も毎日の習慣となっているYAHOOニュースを見ていたらある方の記事が特集されていました。その方とは

 

NOVAホールディングス社長・稲吉正樹氏

 

という方です。

 

ちなみにこの人↓

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記事では稲吉氏のこれまでの軌跡や経営方針などが主に書かれていたのですが、この人の特筆すべきところは22年前まではただの地方公務員だったところ。

 

すごいですよね。

それも新卒で入ってたった3年で辞めてしまったらしいです。

 

なぜ辞めたかというと、ざっくり言ってしまえば自分のやりたいように生きたかったらしいです。

その契機としてはどうやら稲吉氏は幼少期ある個人塾に通っていたらしいのですが、その個人塾がいつ潰れてもおかしくないような個人塾で稲吉氏は子供がてらに「僕がやめたら先生の生活が苦しくなりそう」という理由で通い続けていたらしいです。笑

 

そのまま時は流れ、稲吉氏がいざ就職するという局面を迎えた時、なかなかうまくいかず、困った稲吉氏は父に相談。そして父に「地方公務員の試験を受けてごらん」と言われ、その試験で運良く合格しそのまま流されるように地方公務員になったとのこと。

 

だが稲吉さんは収入面で満足ができなかったそう。

その時は手取りで15万円。

まあ贅沢はできなかったでしょう。

 

そんな時稲吉さんはあることを思い出す。昔の個人塾の先生だ。

大学生の頃、ふとテレビを見ていると稲吉さんはその先生がテレビに出ていたのを目撃する。なぜテレビに出ていたのかというとその先生が直木賞を受賞していたらしいのです。その先生の名は宮城谷昌光という名前で言わずと知れた人だ。

その時稲吉氏は

「自分のやりたいことをして成功してめちゃくちゃかっこいい人生だな」

と思ったそう。

若い時はあんなに苦しそうに小さな個人塾を経営していたのに宮城谷さんは自分の好きな歴史のことを学びながら歴史小説を書いて、それが世間に評価された。

 

多分苦しそうと思っていたのは当時の稲吉さんの偏見で宮城谷さんは自分の好きなことをしていたのだから全く苦とも思っていなかったんだろう。

 

本当に成功する人はひたむきに努力するんだな。

たとえそれで世間から偏見に満ちた目で見られてもそんなものは意にも介さない。

自分の信じるものがあるから。

 

いやー、確かにかっこいいなー。

社会ってバランスをとって生活をしている人を評価する傾向にありますよね。

 

日本人の理想とされる人生って、いい大学に入っていい会社に就職して、結婚して子供が生まれて、そのままその会社に尽くして家族に尽くして老後は年金で何不自由なく生活する。

 

こういう道が確かにすごいということはわかるけど僕はひねくれてるからだろうか。

あまり魅力を感じない。

 

その王道から外れた者、例えば離婚したとか仕事を辞めたとか、そういうことをした人間を世間は落ちぶれたとか不幸せだと勝手に決め付ける。

自分がその人よりも幸せだと言い聞かせたいからなんだろうか。

 

稲吉さんも地方公務員を3年ほどでやめたからその時は周りから色々言われたんだろうな。

 

稲吉さんも宮城谷さんの後を追うようにその後、なけなしのお金で塾を経営することになるのだがそれが前途多難だったらしい。

 

25歳で個人塾「がんばる学園」を設立し、6畳ほどの小さな事務所を借り、自分でペンキを塗ったりして教室を作ったが、生徒が全く集まらなかった。

生徒が集まらないのは「知名度がないからだ」と思い、お金もないのに次々と校舎を増やし、1年で3校に増やした。

それでも生徒は集まらなかった。

そしていよいよ生活が苦しくなった。

両親の反対を押し切って塾を設立したので半ば勘当状態だったので資金援助をしてもらえるあても全くなかった。

困り果てた稲吉さんは国民金融公庫に相談しに行ったが

「まずは不動産を借りなければ話にならない」

と言われ、世間知らずだった稲吉さんは不動産を借りたらお金を融資してくれるのかと思い、残りの全財産を使って不動産を借りて再度国民金融公庫に行った。そこで

「若いので父親の承諾が必要だ」

と言われ、父に頼み込んだが父は公庫の人間に

「そんな商売辞めるように言ってくれ」

と言い、融資の話は無しになった。

 

そんな絶望的な状況の稲吉さんはすでに契約していた不動産の大家さんに契約をキャンセルできないか相談しにいった。

そこで大家さんに

「補償金など含め数十万を借すからそのお金でやってごらん」

と言われたそうだ。

 

これが稲吉さんの人生のターニングポイントとなった。

そのお金でなんとか新しく開校できるようになり、今度は真剣に何がダメだったのかを考え教室作りに徹した。

するとあれよあれよと言う間に生徒が集まり、1か月ほどで100人近くの生徒が集まった。

さらに社会人アルバイトの先生4人が

「FCでやらしてくれないか。」

と申し出てきた。

断る理由もなかったので「どうぞ」と承諾するとその先生たちが次々と成功を収め、瞬く間に校舎数は200校となった。

さらにさらに塾経営は人が資本と思っていた稲吉さんは社員の方たちと毎晩のように居酒屋やご飯を食べたりして社員をねぎらっていた。

そのお金がどうも勿体無いと思い稲吉さんは

「それならもう飲食店をやっちゃった方が食事代も安くできるしいいんじゃないか」

と思い、居酒屋の出物を探し出し買い取った。そして居酒屋経営にも着手することになった。

 

幸いその店は繁盛し、FCの方々をそのお店にも連れて行くと

「自分にやらせて欲しい」

とまたまた申し込まれ、断る理由もなかったので「どうぞ」といった。

 

そしてまたしてもそのFCの人たちが店舗数を増やしてくれ、居酒屋経営も成功を収めた。

 

外食事業が好調となり銀行経由で「後継者のいない居酒屋を継がないか。」と打診があったそう。

これが稲吉さんにとって初めてのM&Aとなった。

それが2004年のことなので1994年になけなしのお金で学習塾を経営してから10年ほどでここまで上り詰めたのだ。

 

その後、紆余曲折あり稲吉さんは経営破綻した「NOVA」を引き継ぐことになるんですがそのことに関してはこの記事にはあまり書かれていなかったのでまた自分で調べようと思います。

 

 

この稲吉さんの人生をみて僕が思ったのは

 

「でも結局稲吉さんのやったことって教室作りしただけじゃん。」

 

ってな感じです。笑

店舗を増やしていったのは結局FCの人たちで実際に成功に導いたのは稲吉さんではない。稲吉さんがやったのは「システム」を作り「判断」をしただけ。

多分それが一番難しいことなんだと思うけど、結局経営者のやることってその二つが仕事なんだろうな。

 

でも当時の稲吉さんが人間的に魅力的な人でなかったらお金を貸してくれた大家さんもFCを申し出てくれた人たちもそんなことは言わなかっただろう。

 

やっぱりトップに立つ人間ってそこが一番重要なんだろうな。

 

 

タラタラと書いてしまったが僕が言いたいのは

 

「稲吉さんすげえ!」

 

ってこと。

 

俺も今の将来の夢は経営者になることなのでこういう話は見ていて飽きない。

憧れる。

 

 

とまあそんな夢見てないでテメエはさっさとアルバイトじゃなくて仕事探せよ。

っていう正論は痛いほど胸に響くので誰も言わないで。

 

 

ああ〜〜

 

仕事がしたい。。。涙